石田三樹男

Tag: 確定死刑囚

石田三樹男

神田ビル放火殺人事件

-経緯- 昭和56年7月6日深夜、石田三樹男(当時33歳)は東京都千代田区神田駿河台の勤務先で上司の中村勇さん(当時46歳)と2人で残業していたが、中村さんが帰り支度をはじめたところ、突然背後からバットで殴打した。石田は逃げ回る中村さんを執拗に追いかけ回して頭蓋骨粉砕骨折にいたる致命傷を与えた。

その後、石田は職場にある金庫から現金252万円余りを奪取し自宅から持参した灯油入りの水筒を取り出し職場のビル7階の書庫に放火した。数分後、火災警報装置が作動し宿直の管理人・西野竹次郎さん(当時56歳)が7階の現場に行くと放火している石田と遭遇。石田は同じくバットで西野さんを殴打して逃走を図った。

石田が1階へ降りると全ての出入り口は閉められていて外へ出られなかった。そこで再び7階へ戻ると、西野さんが顔面から血を流し「目が見えない」と、よろよろ立っているのを見て再びバットで強打。火炎をあげている書庫に放り投げた。西野さんの遺体が発見された時は、全身黒焦げで当初身元の判別がつかなかったほど無残な状態であった。

なんとか会社を脱出した石田は奪取した金で東北地方の温泉街を転々としながら逃避行を続けたが、4ヵ月後の11月10日逃げ切れないと観念し旅館の主人に犯行を打ち明け秋田県能代署に出頭、逮捕された。

-動機- 石田は、バーやクラブ、風俗店での遊興を覚えて、その捻出のため勤務先で経理を担当していた立場を利用して社内預金約1400万円を使い込んでいた。ところが、石田が勤務する会社が7月7日に合併することが決定し当日は社内預金の提出期限だった。焦った石田は犯行の発覚を恐れて帳簿の焼却と会社資金を入手した上で逃走することを計画した。

犯行当日、予想外に上司の中村さんが深夜近くまで残業していたため、「このままでは計画通りに運ばない」と自分のロッカーに置いてあったバットで中村さん、さらには西野さんをも殴打して殺害したのだった。

昭和57年12月7日東京地裁は石田に死刑を言い渡した。昭和59年3月15日東京高裁は石田の控訴を棄却。昭和63年7月1日最高裁は上告を棄却して死刑が確定した。死刑確定後の石田は「自業自得とは申せ、当然の判決でございました」と世話になった弁護士に手紙を送っている。平成8年7月11日、東京拘置所で死刑執行(享年48歳)。

石田三樹男 事件当時年齢  33歳 犯行日時  1981年7月6日 罪 状  強盗殺人、現住建造物等放火 事件名  神田ビル放火殺人事件 事件概要  会社員石田三樹男被告はバーなどの遊興費を捻出するために会社の金約1400万円を使い込んだため、帳簿類を消却した上、会社の金を持ち出して逃走しようと決意。1981年7月6日、灯油入りの水筒を持って出社し、犯行の機会を求めて残業をしていたが、同じく残業していた上司(当時46)が邪魔になったため、木製バットで頭部を強打して撲殺した。さらに会社の現金252万円を奪い、灯油をまいてビル7Fの事務室に放火した。逃げる途中、ビル管理人(当時56)を鉢合わせしたため、バットで撲殺した。 一 審  1982年12月7日 東京地裁 大関規雄裁判長 死刑判決 控訴審  1984年3月15日 東京高裁 寺沢栄裁判長 控訴棄却 死刑判決支持 上告審  1988年7月1日 最高裁第二小法廷 奥野久之裁判長 上告棄却 死刑確定 拘置先  東京拘置所 裁判焦点  会社の帳簿書類を焼いて逃亡するつもりであり、殺人は偶発的だと主張。

 最高裁の判決理由で奥野裁判長は「強盗殺人二件を起こしたうえでの放火という刑事責任は重い」「酒と女におぼれて多額の会社資金を使いこんだ被告の動機に酌量の余地はなく、犯行の態様も悪質で残忍だ。被告人の情状を十分考慮しても死刑を妥当と認めざるをえない」と述べた。 執 行  1997年7月12日 48歳没